文字は手で書くことから生まれる
カリグラフィーの仕事

トピック

ロンドンで文字を書く仕事をしている下田恵子氏。2010年からフリーランスとなり、ファッション、イベント業界をはじめ、パッケージデザイン、映画業界などで、日本の書道と西洋カリグラフィーの文字を書く仕事をされています。

このセッションでは、カリグラフィーで書かれた本とその歴史、道具、普段の下田氏のお仕事の事例を見せていただきました。

冒頭では、カリグラフィーで書かれた本を写真で紹介。ブリティッシュ・ライブラリーで見られる本のほか、橋口恵美子氏(下の写真は橋口氏の作品)、深谷友紀子氏、グドルン・ツァップ氏の本が紹介されました。

カリグラフィーには2000年の歴史があり、ルネッサンス期までは文書保存の唯一の方法で、本を作る技術の一つでした。中国からヨーロッパに紙が届くまでは、羊皮紙が使われていましたが、とても高価で、金属のペンができるまでは、植物の葦や白鳥、雁などの鳥の羽を切って作ったクイルが使われていました。

15世紀後半に印刷が普及すると、文字を書く仕事が激減し、カリグラフィーはほぼ消滅します。20世紀のはじめ、イギリスのエドワード・ジョンストンが古くから残っていた文字を分析して、幅広ペンを使って字を書くことを再発見し、現代のカリグラファーの基礎を作りました。幅広ペンで書く文字のほか、早く書くために生まれたイタリック体や先がとがった金属のペン(ポインティッドペン)で書くカッパープレート体などがあり、下田氏が写真を見せながら解説してくださいました。

後半は実際の仕事の紹介。下田氏の仕事の依頼主は、ファションやイベントの会社、パッケージやグラフィックデザイン、教会や団体などに分けられ、それぞれの目的によって求められる字のスタイルが違います。イベントやファッションショーなどで使われる字は見栄えがよい筆記体の受けがよく、一方、認定証などの字は、読みやすいしっかりとした飾り気のない字が求められることが多いそうです。

例えば、この作品は、結婚1周年の記念に結婚式で読まれたリーディングを書いたもの。お客様が最初に希望したのはあまり堅苦しくならないように少し崩したような字でしたが、これで長い文章を書くと1行が長くなり、行間を大きめに取らないと希望の紙のサイズに収まらなくなります。そのため、字の間が狭く、アセンダーとディセンダーが短く、フォーマルなラウンドハンドよりはゆるめのスタイルを提案。

カリグラフィーは、コンピュータで作ったものより時間も値段もかかりますが、そういう不完全さも含めて⼿を使って書かれたものに価値があると考えています。⼀つ⼀つの字を活字のように完璧に同じに書くことはできませんが、単語や⽂章作品全体として⾒た時に⼼地よいリズムや統⼀感を持たせることを目指しています。依頼主一人一人の思いや背景を知り、その人にゆかりの要素を取り入れ、その目的に沿った仕上がりになるように努めます。完成までに何度もやり取りし、微調整も可能なので、オーダーメイドでその人専用の何かを作るようなものなのです。

書道もカリグラフィーも誰かの手から出てきたものです。習字の基本は模写。昔の字をコピーして練習して自分のものにしていきます。「同じ古筆を見て臨書しても個人個人の目を通して違う脳に入り、違う手を通して出てきた時点で、まるで同じ字は存在しない」と習字の先生がおっしゃっていました。きれいに見えないのにわざわざ手で本や文章を書く意味は、個人差も含めて手で作ったものにある魅力ではないでしょうか。

個人からではなくデザイン事務所などから商業用として字を求められることもあります。最近は手書き風の文字が求められることが多いです。書いた字は素材の一つとして、既存のフォントなどと組み合わされて使用されるので、その後のプロセスを知らないことが9割。逆に、依頼主が欲しい完成図がはっきりしている場合もあります。ウイスキーのラベルデザインの仕事では、完成したラベルのイメージが先にあり、「こういう字が良い」と選んでいただいた後で字を書きました。

字をデータとして渡すのではなく、実際の物に直接書く場合もあります。表面が光っている紙、ビニール、プラスチック、メタリック、あまりにも凸凹すぎる面に書く場合は使うペンや筆が限られます。また、書いた字をスキャンしてカシミアに刺繍した時は線の太さや大きさが制限されました。こういう場合は、できる、できないを依頼主に説明するのも書き手の責任になります。

ロンドンで日本の字を書いていて、おきる問題もあります。映画のセットで日本語の文字を書く仕事をした時、「ちょっとここに何か書いておいて」と気軽に言われましたが、漢字を読めてしまう人にとっては1文字でもそれが情報になってしまいます。文字は情報伝達の道具であって、模様ではありません。カリグラフィーの作品でも、こちらの人は何が書かれているのか読もうとするので、人に伝えたい場合は読みやすいように文章の改行箇所に気をつけて書くようになりました。作るものの最終目的や言葉や文章の意味を考えると、違うようにとらえることができるような気がします。

ここから質疑応答です。

カリグラフィーで、オススメの本はありますか?

『Pen Lettering by Ann Camp』(ISBN 07136 24159)
『Historical Script by Stan Knight』(ISBN 1 884718 56 6)
太古の昔から現存している書跡を集めて、図版で見せ、歴史を紹介。特徴を解説。先史時代から15世紀のイタリックまで。ポインテッドペンは含まれていませんが、図例が多いです。

『The Universal Penman, Engraved by George Bickham』(ISBN 0 486 20616 5)
ポインテッドペンはこちら。18世紀にビッカムにより彫られた銅版の画像集。大文字の種類やフローリッシュ(飾り)の種類も多いです。コピーしているだけで勉強になります。

『More than Fine Writing, Irene Wellington: Calligrapher (1904−84) by Heather Child, Heather Collins, Ann Hechle, Donald Jackson』(ISBN 0 7123 4605 8)
エドワード・ジョンストン直系のカリグラファー、アイリーン・ウェリントンの作品を多数収めた本で、彼女の作品へのアプローチや、実際の仕事例などを教え子たちなどがまとめたもの。創作作品をまとめる時や、数多い情報を一面にまとめる仕事の参考に。

日本語の本では、三戸美奈子先生が書かれた『カリグラフィーブック』(ISBN 978 4 416 81153 5)(『カリグラフィーブック増補改訂版』 ISBN 978-4416717325)がとてもよいです。歴史から道具、字の形、書き方、まとめ方、とても分かりやすいので、今から始める方にはおすすめです。

なぜ今回のセッションを企画したのでしょうか?

(小林)手を使って文字を生み出し、その文字が意味を持って相手に伝わることが大事です。デジタルフォントとカリグラフィー、お互い敵同士ではなくて、たまたま道具が違うだけで、結局は文字の形、単語の形、文章を届けて相手に伝わることなので、ゴールは一緒。手でものを作る時の微妙な調節の仕方で文字が生きる、線が生きることが重要だとわかってもらえるといいですね。ラウンドハンドで「Calligraphy」と書くと、2つ目のエルがちょっと高くなるのですが、この微妙な違いが文章になった時に生き生きしてきます。フォントの場合も、カリグラファーのペンや石彫りのノミを動かす時のように、ここに気をつければ読みやすくなるというのは同じです。

(下田氏)フォントも人の手を介してできているもの。最終目的がなんなのかによって、カリグラフィーよりもフォントの方がきれいに見えることもありますが、共通点もたくさんあります。
大切なのは目を訓練するということですね。目が訓練された後で、手が動いてくれないといけないので、そことの戦いです。頭でわかっているのに、手が勝手に動くこともあり、「脳と筋肉の戦い」になります。
カリグラフィーはそんなに敷居の高いものではないので、興味がある人はちょっと書いてみて、はまってもらえたらうれしいです。